福島県双葉郡浪江町の歯科医院|一般歯科・予防歯科

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診 療 理 念

 豊嶋院長の想い

 東日本大震災以降休院を余儀なくとれておりましたが、多くの皆さまのご支援のもと、
当院の再開にようやく漕ぎ着けることが出来ました。
 浪江町に生まれ、浪江町と共に歩んで参りましたが、自然豊かな故郷を取り戻すべく、
新たなる望みを胸に、微力ながら新しい浪江町の再興の一助になれればの想いを抱いて、
再開院を致します。まだまだ復興の途中で先の見えない状況ですが、皆さまと共に頑張って
参りたいと考えています。
                   2018年7月18日  豊嶋歯科医院 院長 豊嶋 宏

 1949年からの歴史

小名浜在住、絵画・書道教室を営む
画家 石井 實(みのる)氏 作
(※当院待合室にもございますので、来院時に是非ご覧ください。)

 私の父、初代院長である豊嶋尚が1949年にこの地にて豊嶋歯科医院を開院致しました。
浪江町にお住まいの方、近隣に避難されている方々を含め、歯科治療を通して多くの方々に愛されて、
まもなく創業70年を迎えようとしています。
 実は私は、最初から家業を継ぎたいと考えた事はなく、父からも後を継いで欲しいと言われた事もなく、
写真を撮るのが趣味なので、TV局のカメラマンになりたいなぁと漠然と考えていました。
後を継ぐきっかけになったのは、高校時代の恩師の一言です。
「折角、お父さんが築いた地盤があるのだから、後を継いだ方が良いと思うよ。」
そう言われて色々と考え悩みました。
サラリーマンとして雇われる仕事ではなく、1人で責任を持って長く続けられる仕事、歯科診療を通して、
患者さんの痛みや悩みに寄り添い、地域の方々から感謝される仕事、その方が自分の性格や資質に合っているのかもしれない。
それを機に歯科大学への進学を決意しました。
 その後、口腔外科で3年研修。週の半分は大学、週の半分は父と一緒に仕事をしながら実践で地域の方々の歯科診療に携わり、
大学卒業後、父とともに約50年一緒に働きながら、1998年に二代目を継ぐこととなりました。
 2011年3月11日の震災後、北海道新ひだか町に移転を余儀なくされ、知人の歯科医院を手伝いながらも、
生まれ育った浪江町の想いは馳せる事無く、先代からお世話になっている浪江町の方々への恩返ししたい気持ちが高まり、
帰還して歯科医院を再開する決意を致しました。
「浪江町と共に70年、家族ぐるみの歯医者さん」として、地域の皆様の健康促進に寄与させて頂きたいと考えております。
どうぞお気軽にご相談、お問い合わせ下さい。

 私の父、初代院長である豊嶋尚が1949年にこの地にて豊嶋歯科医院を開院致しました。
浪江町にお住まいの方、近隣に避難されている方々を含め、歯科治療を通して多くの方々に愛されて、まもなく創業70年を迎えようとしています。
 実は私は、最初から家業を継ぎたいと考えた事はなく、父からも後を継いで欲しいと言われた事もなく、写真を撮るのが趣味なので、TV局のカメラマンになりたいなぁと漠然と考えていました。
後を継ぐきっかけになったのは、高校時代の恩師の一言です。
「折角、お父さんが築いた地盤があるのだから、後を継いだ方が良いと思うよ。」そう言われて色々と考え悩みました。
サラリーマンとして雇われる仕事ではなく、1人で責任を持って長く続けられる仕事、歯科診療を通して、患者さんの痛みや悩みに寄り添い、地域の方々から感謝される仕事、その方が自分の性格や資質に合っているのかもしれない。それを機に歯科大学への進学を決意しました。
 その後、口腔外科で3年研修。週の半分は大学、週の半分は父と一緒に仕事をしながら実践で地域の方々の歯科診療に携わり、大学卒業後、父とともに約50年一緒に働きながら、1998年に二代目を継ぐこととなりました。
 2011年3月11日の震災後、北海道新ひだか町に移転を余儀なくされ、知人の歯科医院を手伝いながらも、生まれ育った浪江町の想いは馳せる事無く、先代からお世話になっている浪江町の方々への恩返ししたい気持ちが高まり、帰還して歯科医院を再開する決意を致しました。
「浪江町と共に70年、家族ぐるみの歯医者さん」として、地域の皆様の健康促進に寄与させて頂きたいと考えております。
どうぞお気軽にご相談、お問い合わせ下さい。